選挙のたびに投票率の低さが話題になり、さまざまな場で議論されている。
”投票率の低下は民主主義の危機”と言われる。投票率が低いということは、一部の人たちの意見によって選ばれた議員によって政治が行われていることである。形式的ではあっても、多くの多様な人たちの声を反映した政治を期待するためには、少なくとも投票率の向上が必要であるということだ。インターネットを活用した選挙運動は投票率の改善に貢献するのではないかと期待されてはいるが、ネット上の情報量は増えたが、投票率のアップには寄与していないといえそうだ。
ここでは、選挙にいかない理由と議会による情報提供について整理してみたい。
国政選挙に行かない理由
現在、検索サイトで「投票に行かない理由」を検索すると、信頼性の高い公的機関の調査から個人的なつぶやきレベルまでさまざまな理由が表示される。たとえば、信頼性の高いと推測される平成25年参議院議員選挙を対象に行った「選挙に関する世論調査」(東京都選挙管理委員会)をみてみる。そこでの選挙に行かない主な棄権理由は以下の通りである。
- 「仕事が忙しく、時間がなかったから」(38.8%)
- 「政治や選挙には関心がないから」(16.4%)
- 「自分一人が投票しなくても選挙の結果に影響がないから」
- 「旅行やレジャーに出かけていたから」(13.9%)
これは、選択式の設問であるから、回答者の本音が本当のところどこにあるかはわからないが、感覚的に納得できるものではある。
また、メディアのインタビュー(街頭インタビューが多い)の結果を検索してみると、その理由の上位には、「選挙に行くのがめんどくさい」、「政治がわからない・興味がない」が多数を占めていることを確認できる。「めんどくさい」というのは、東京都の世論調査以上に納得できる。わざわざ、休日に自分の時間を使って投票所に行くことは、自分の時間の使い方のなかでかなり優先順位は低いものだろう。休日には若者はレジャーや買い物に行くだろう。毎日残業続きのサラリーマンは少しでも休みたい。
選挙期間をもっと議論すべきではないか
公職選挙法に選挙の種類によって選挙運動の期間が定められているので、現在の選挙スケジュールは仕方がない。候補者のことがよくわからないまま投票する。または、投票を棄権する。この決定を下すには、あまりにも選挙期間が短いといわざるをえない。
候補者のことをもっと知ったうえで投票する、または知ったうえで棄権するという判断もありうるであろう。選挙期間についてもっと議論してほしい。真面目に考えている人ほど良くわからない状況で行動を決断しているのではないか。現在の公職選挙法に規定されている選挙運動期間は、地域のことを真剣に考え、候補者を知ろうとしている人にはそぐわないもにになっている。
個人的に、この選挙運動期間の定めの立法趣旨を確認してはいないが、個人的にはもう少し選挙運動の期間を長くすることがよいのではないかと感じる。選挙運動が迷惑というのならば、街宣車などを制限すればよい。街宣車で名前を連呼するだけが選挙運動ではないのだから。
地方選挙に行かない理由
次に地方選挙に行かない理由である。これは、国政選挙に行かない理由とは異なるのであろうか。
ここで、地方選挙に行かない理由について、横浜市選挙管理委員会が実施した調査をとりあげてみる。これは平成23年4月10日の横浜市議会議員選挙を対象に行った棄権の理由の調査である。理由は以下のとおりである。
- 「どの候補者がよいかわからなかったから」が30.2%
- 「あまり関心がなかったから」(15.1%)
- 「病気(看護を含む)だったから」(13.1%)
- 「仕事や商売が忙しかったから」(12.0%)
これは、国政選挙に行かない理由とは多少異なる傾向にあることがみてとれる。
「選挙に行かない理由」の国政選挙と地方選挙の比較
「選挙に行かない理由」を国政選挙と地方選挙をわけて考えてみる
両選挙の投票率を単純化して考えてみる。
下の図のようなモデルで考えると、全有権者のうち、
(a)国政選挙と地方選挙の両方に行かない有権者
(b)国政選挙には行くが地方選挙には行かない有権者
(c)どの選挙にも行く有権者、を想定できる。
投票は、厳密に期日前、当時の投票を問わず、投票所での名簿の消込みによってチェックされるので、投票者の年代も選挙管理委員会は正確に把握しているが、それらは公表されてはいない。メディアが使っているデータは、出口調査で得られらたものである。選挙管理委員会が情報を公開していないのであるから、メディアの分析結果もどこまで信頼性があるかは不明である。
投票モデル
このモデルは、国政選挙には投票するが、地方選挙には投票しないという有権者がいることを前提とする。言い換えれば、地方選挙には投票するが、国政選挙には投票しないという有権者はほとんどいないということを前提とする。
国政選挙の場合は、(c)すべての選挙に投票する人と(b)国政選挙のみ投票する人のどちらか、または両方が減少し、(a)どの選挙にも投票しない人が増加しているという状況である。
他方、地方選挙の場合は、(c)すべての選挙に投票する人が減少し、(b)国政選挙のみ投票する人と(a)どの選挙にも投票しない人のどちらか、または両方が増加しているという状況である。
このモデルをふまえると、横浜市の調査結果にある地方選挙にいかない理由「どの候補者がよいかわからなかったから」は、(b)層の有権者の意見を反映していると推測しても大きな間違いはなさそうである。すなわち、選挙に行こうとは思ったが、投票という行動を起こすに十分な候補者情報が不足していたということである。候補者情報の不足は、考えてみれば当然のことで、国政選挙についての新聞、テレビ、大手ウェブサイトによる政党、候補者、政策情報の豊富さに対して、地方選挙においてメディアが情報を提供してくれることはほとんどないからである。新聞でいえば、地方面に一部掲載される程度であり、紙面を大きくとったり、テレビで報道されることはほとんどない。
地方選挙こそマスメディアに依存しない情報提供が必要である
このような情報不足の状況にあって、有権者はどのように候補者情報を得ることができるのか。最近では、政治系ウェブサイトがいくつも登場してきて有用な情報を提供してくれる。また、地域のNPOや市民がみずからのリソースを提供して、ウェブサイトを公開してくれている場合もある。しかし、まだまだ有権者に必要な情報が伝わっているといえる状況ではない。
国政選挙と地方選挙において有権者が得られる情報には質的な違いがあるにもかかわらず、選挙管理委員会が国政選挙と地方選挙で選挙広報を変えているかといえば、そのような姿勢は見られない。メディアが情報提供してくれる国政選挙と提供してくれない地方選挙の違いを念頭においた選挙広報(選挙管理委員会)を検討する必要があるのではないか。
今後、選挙管理委員会をはじめ、地域メディア、NPO、市民活動によって選挙(候補者)に関係する情報が大量に発信されるようになれば、有権者側にはその情報を読んで、理解する時間が必要になる。つまり、情報が増えるほど、情報処理時間が必要になるのだ。だからこそ、その解決策のひとつとして選挙期間の延長を再検討も検討してほしいいものである。たとえば、告示日から投票までを2週間として、選挙公報(告示日以降に全戸配付される媒体)は2週間前から配付、そのほかは期日前投票や選挙カーによる選挙活動は1週間に限定するということもあり得ると思う。